ブログ終了
2012年 01月 12日
1年続いたブログを止めようと思う。
理由1:最近5の指が痛い。右手の小指に変な痛みを感じる。
今週末にジェラール・プーレ先生とベートーヴェンの春を弾くという大事な本番があるのに、リハーサルに行ったら無意識に指使いを変えたりしていて、自分でも驚いて、集中できなかった。
原因はパソコンでないかと思う。書き物をするときに考えながら打つので、変に腕が緊張している上、キーボードを叩く指使いはめちゃめちゃであり、右手で打つほうが圧倒的に多いのだ。
秋から原稿が重なっていて、相当打っていたし、調子に乗って「これからは音楽と書きと二本立てで」などと吹聴していたから、ピアノの神様に罰せられたのかもしれない。
原因と思われるあらゆることは排除しなければいけない。例えば掃除機のスイッチを小指で押す癖があるとか…
理由2:勉強にならない
実は「書く訓練になるかも」と期待したが、話し言葉で書くブログは、書き言葉の練習に余り効果がないように思う。
理由3:なんか違う
始めてから、いいことばかりがあった。でも読者が増えればエコーを気にして(小心者だから)当たり障りの無い事しか書かなくなる。
雑誌の仕事でピアニストのアレクサンダー・タロー氏をインタビューしたのは、とても良い話が聞けて面白かった。しかし、雑誌の発売までは黙っていなくちゃいけない。
最近たくさんの映画や感動する本に触れた。しかし感想を伝えようとすると、長くなって大変だ。それこそ私の旬の面なのに。
話は変わるけれど、最近生徒が面白い。
ひとりは私が0から教えた男の子で、4〜5年目だと思うけれど、楽譜を読んで弾くというより、小さな曲でも、感情を持って演奏しようという姿勢があり、譜読みも演奏技術も一線を超えた。この子は細々とでも、一生ピアノに触れていくと思う。
私と離れても、彼はずっとどこかでピアノを続けていくでしょう。将来「ピアノは日本人の先生に習ったんだよねー、なんて名前だったかな?」と言うかもしれません。私も彼を忘れちゃうかもしれません。でも、ピアノを弾くという楽しみを受け渡すことができました。安心して巣立って下さい、という心境。
この弟がまた可愛くて、お兄ちゃんが練習する二短調のスケールやアルペジョ、カデンスを聴いて「きれいな曲だなあ〜」というのです。この子は昔っから二短調になぜか反応して、様々な調性の短いメロディーをした時も、ニ短調だけが気に入って何度も弾いていました。一時期、練習しなくて、怒ったお父さんに「ピアノの好きなところと嫌いなところ」という作文を書かされ、「ピアノを練習するのは嫌いです。好きなところはマミが来てくれることです」と書いたそうです。私マダム・モチベーション(笑)
他にも、家庭に音楽の素養のある人がいなく、コンサートも行ったことがなければ、楽器も生で触れたことがないお嬢さん。ウルトラ不器用でいつになっても何も弾けない。それなのに、ピアノの上に自分で弾こうとしたらしい変なコーラスの楽譜が置いてある。「なにこれ?」「あ…えっと…弾いてみたいなと思って…」「弾けた?」「えっと…最初ちょっと…」すごいじゃーーーん! 多分全然弾けていなかったんだろうけれど、ひとりで弾こうとしたその姿を想像すると、いじらしく思える。
私はよく生徒の曲を弾いてみせる。(実はついでに自分の練習不足を解消していたりして)彼女は特にその時間を楽しみにしていて、遠慮がちにレッスンの最後に「あの…これを…ちょっと…」それで弾いてやると目が輝いているのだ。
もうひとり学校の子。テーマソングを決めていて、部屋に入るなり勝手に宿題じゃない曲を弾き出す。最近は連弾の曲が彼のテーマらしく、目で催促して私を座らせる。ウキウキ度が上がってやっとレッスン開始。30分なのであっという間に時が経ち、「えっ!もう?」と毎回驚いて帰りたがらない。「テーマソングなくしたらもっとお稽古できるよ」と言っても、そこは外せないポイントらしい。
音楽はやっぱりひとりひとりの人生に意味や幸福をもたらすものであって欲しいと思う。音大を受験するような子を育てよう、国際コンクールに入るようなレヴェルにさせようという指導には興味がない。入ったところで天才キーシンになれる訳ではないのだ。
私はある時、某有名ピアノ教授のインタビューの通訳をした際、「私は世界中の優秀で良い家庭の生徒だけを集め、世に送り出すことを使命と感じています」ときいて、笑うシーンではないのに思わず笑ってしまったことがあった。あまりに私と違う考えだからだ。
世の中がどんなに不況になっても音楽はなくならない。ヘンテコな音楽会は消えてしまうかもしれないけれど、ひとりひとりが楽器を奏でられた時の感動や、聴いた親の喜びなどが、音楽の無くならない世界を作ると思う。
私はひとりひとりの子供や、まあ趣味の大人も、音楽が人生の感動のワンシーンであって欲しいと願う。それには努力やセンスを磨くことが不可欠で、その手助けをするのが私の教師としての役目で、お陰で色んな人間に出会えて楽しませてもらっている。
私がパリで生きているか知るためにブログをチェックしてくれていた人は「いのうえきしんの日記」の方を見れば大体近況が分かります。
こちらは読者が意外に多く、息子が日本に帰国したら「生きしんだ〜」と言われるほどなので、ファンや家族のためにも続けます。
おしまい〜 (多分)
理由1:最近5の指が痛い。右手の小指に変な痛みを感じる。
今週末にジェラール・プーレ先生とベートーヴェンの春を弾くという大事な本番があるのに、リハーサルに行ったら無意識に指使いを変えたりしていて、自分でも驚いて、集中できなかった。
原因はパソコンでないかと思う。書き物をするときに考えながら打つので、変に腕が緊張している上、キーボードを叩く指使いはめちゃめちゃであり、右手で打つほうが圧倒的に多いのだ。
秋から原稿が重なっていて、相当打っていたし、調子に乗って「これからは音楽と書きと二本立てで」などと吹聴していたから、ピアノの神様に罰せられたのかもしれない。
原因と思われるあらゆることは排除しなければいけない。例えば掃除機のスイッチを小指で押す癖があるとか…
理由2:勉強にならない
実は「書く訓練になるかも」と期待したが、話し言葉で書くブログは、書き言葉の練習に余り効果がないように思う。
理由3:なんか違う
始めてから、いいことばかりがあった。でも読者が増えればエコーを気にして(小心者だから)当たり障りの無い事しか書かなくなる。
雑誌の仕事でピアニストのアレクサンダー・タロー氏をインタビューしたのは、とても良い話が聞けて面白かった。しかし、雑誌の発売までは黙っていなくちゃいけない。
最近たくさんの映画や感動する本に触れた。しかし感想を伝えようとすると、長くなって大変だ。それこそ私の旬の面なのに。
話は変わるけれど、最近生徒が面白い。
ひとりは私が0から教えた男の子で、4〜5年目だと思うけれど、楽譜を読んで弾くというより、小さな曲でも、感情を持って演奏しようという姿勢があり、譜読みも演奏技術も一線を超えた。この子は細々とでも、一生ピアノに触れていくと思う。
私と離れても、彼はずっとどこかでピアノを続けていくでしょう。将来「ピアノは日本人の先生に習ったんだよねー、なんて名前だったかな?」と言うかもしれません。私も彼を忘れちゃうかもしれません。でも、ピアノを弾くという楽しみを受け渡すことができました。安心して巣立って下さい、という心境。
この弟がまた可愛くて、お兄ちゃんが練習する二短調のスケールやアルペジョ、カデンスを聴いて「きれいな曲だなあ〜」というのです。この子は昔っから二短調になぜか反応して、様々な調性の短いメロディーをした時も、ニ短調だけが気に入って何度も弾いていました。一時期、練習しなくて、怒ったお父さんに「ピアノの好きなところと嫌いなところ」という作文を書かされ、「ピアノを練習するのは嫌いです。好きなところはマミが来てくれることです」と書いたそうです。私マダム・モチベーション(笑)
他にも、家庭に音楽の素養のある人がいなく、コンサートも行ったことがなければ、楽器も生で触れたことがないお嬢さん。ウルトラ不器用でいつになっても何も弾けない。それなのに、ピアノの上に自分で弾こうとしたらしい変なコーラスの楽譜が置いてある。「なにこれ?」「あ…えっと…弾いてみたいなと思って…」「弾けた?」「えっと…最初ちょっと…」すごいじゃーーーん! 多分全然弾けていなかったんだろうけれど、ひとりで弾こうとしたその姿を想像すると、いじらしく思える。
私はよく生徒の曲を弾いてみせる。(実はついでに自分の練習不足を解消していたりして)彼女は特にその時間を楽しみにしていて、遠慮がちにレッスンの最後に「あの…これを…ちょっと…」それで弾いてやると目が輝いているのだ。
もうひとり学校の子。テーマソングを決めていて、部屋に入るなり勝手に宿題じゃない曲を弾き出す。最近は連弾の曲が彼のテーマらしく、目で催促して私を座らせる。ウキウキ度が上がってやっとレッスン開始。30分なのであっという間に時が経ち、「えっ!もう?」と毎回驚いて帰りたがらない。「テーマソングなくしたらもっとお稽古できるよ」と言っても、そこは外せないポイントらしい。
音楽はやっぱりひとりひとりの人生に意味や幸福をもたらすものであって欲しいと思う。音大を受験するような子を育てよう、国際コンクールに入るようなレヴェルにさせようという指導には興味がない。入ったところで天才キーシンになれる訳ではないのだ。
私はある時、某有名ピアノ教授のインタビューの通訳をした際、「私は世界中の優秀で良い家庭の生徒だけを集め、世に送り出すことを使命と感じています」ときいて、笑うシーンではないのに思わず笑ってしまったことがあった。あまりに私と違う考えだからだ。
世の中がどんなに不況になっても音楽はなくならない。ヘンテコな音楽会は消えてしまうかもしれないけれど、ひとりひとりが楽器を奏でられた時の感動や、聴いた親の喜びなどが、音楽の無くならない世界を作ると思う。
私はひとりひとりの子供や、まあ趣味の大人も、音楽が人生の感動のワンシーンであって欲しいと願う。それには努力やセンスを磨くことが不可欠で、その手助けをするのが私の教師としての役目で、お陰で色んな人間に出会えて楽しませてもらっている。
私がパリで生きているか知るためにブログをチェックしてくれていた人は「いのうえきしんの日記」の方を見れば大体近況が分かります。
こちらは読者が意外に多く、息子が日本に帰国したら「生きしんだ〜」と言われるほどなので、ファンや家族のためにも続けます。
おしまい〜 (多分)
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# by mamikino | 2012-01-12 08:36 | もにょもにょ








